CHANG, Yu-Chiehのブログ

台湾出身、「石川カオリ」というペンネームを使って日本語で世界のことを伝いたい。

2017.08.15 台湾で大規模停電の事実

実際には、今回台湾全島で大規模停電の理由は

❶アホ国営石油会社(=中油)にある作業員が人為ミスして、天然ガス弁を閉めて「ただ二分間」
この結果、桃園大潭発電所は配電が停止した。

❷でももっとも重要な背景は、なぜ一つの発電所(六つ発電機持つ)運転停止してから、全国大停電の大事態を起こったのか?

反原発、そして台湾の電力産業は単純に火力発電や自然エネルギー(グリーンエネルギー)だけ依存することがまだまだできないし、Operating Reserve(当日発電所より最大可能配電量=備轉容量=)は低すぎて

 

だから今回の状況を発生した。以上。

 

www.yomiuri.co.jp

 

 

72回目の「終戦の日」の思い

72回目の「終戦の日」。ヤフージャパンの特集はよくできだが、「空襲の記録 都道府県別 被害データ」に台湾は書かなかった。

実際に、同じ国だった私たちにも空襲を受けった。詳しくは下記に。

 

「解放」後、「元内地」からこの歴史を忘れてしまい、

新しい政府にも故意にこの歴史を消してしまった。

 

脱植民地化のこれからは

まず、元内地は新しい世代に元植民地のことを忘れずに伝いなければなれない。元内地は歴史を伝える責任がある

そして、元植民地の私たちはあの時代誰が誰に何をしていた責任分界点を理解することは大事だ。

私はそう思っている。

 

--台北大空襲、ィキペディア日本語版より--

 

台北大空襲(たいほくだいくうしゅう)は第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)5月31日、連合国軍の爆撃機により日本統治時代の台湾台北州台北市に対して行われた無差別爆撃である。この空襲で市民約3000人(日本人が中心)が死亡、重軽傷者並びに家屋を失った者は数万人以上に上った。

 

【背景】

 台湾が空襲を受けたのは台北大空襲が初めてではない。太平洋戦争開始前の1938年(昭和13年)2月23日には、ソ連義勇軍と中華民国空軍第1大隊による松山飛行場に対する攻撃があった。1943年(昭和18年)11月25日には、アメリカ陸軍航空軍の第14空軍第11爆撃中隊に属する8機と米中混成軍団第1大隊第2中隊の6機、合計14機のB-25が、第14空軍第23戦闘大隊のP-51及びP-38各8機の援護の下、中国遂川基地を飛び立ち、台湾の新竹飛行場を爆撃、日本軍機52機に損害を与える新竹空襲を行った。ただ、これらはいずれも小規模且つ軍事拠点を目標にしたものであった。

 アメリカ軍による本格的な台湾空襲は太平洋戦争末期、フィリピンの戦いのために第38任務部隊の艦上機が来襲した1944年(昭和19年)10月12日に始まった。このときに台湾沖航空戦が展開されている。ルソン島占領後は陸上機も頻繁に来襲、屏東や虎尾の製糖アルコール生成工場、高雄港、岡山航空廠を目標にした。そして台北もアメリカ軍の空襲範囲に含まれ、頻繁な攻撃を受けるようになった。当初台湾に230機あった日本軍戦闘機は、台湾沖航空戦以来の戦闘でほぼ壊滅状態となった。

 

【戦闘の経過】

 アメリカ軍による台北空襲で最も被害が大きかったのが1945年(昭和20年)5月31日の空襲である。フィリピンのスービック湾に駐留するアメリカ第5空軍は、4個航空大隊の合計117機のB-24をこの任務に当たらせた。3機のB-24を一編隊とした波状攻撃により、5月31日の午前10時より午後1時まで台北を目標とした空襲を加えた。

 目標となったのは対空砲が残っていた台北城内(現在の台北市忠孝西路、中華路、愛国西路、中山南路に囲繞された地域)、城外の台湾歩兵第1連隊、野砲兵第48連隊(現在の中正紀念堂)などの軍事施設を初め、台湾総督府を含む、栄町、京町、文武町、書院町、明石町、旭町などの主要官庁街であった。3,800発の強力な爆弾が投下された。

 

【結果】

 この空襲において最も大きな物的被害を受けたのは台湾総督府である。総督府は空襲を避けるために迷彩偽装が施されていたが、建物右翼が被弾し、中央塔脇のエレベーターと階段、その間にあった事務室が倒壊した。建物の爆弾による実質被害はこれだけだったが、発生した火災が消火までに数日を要する大規模なものだったため、結果的には対家屋面積比の83%が被害を受け、以降の使用は不可能となった。更に当時建物内にいた人々が地下室へ避難していたところ、階段が瓦礫で埋まってしまったため全員が生き埋めになるという惨事も発生している。このほか総務長官官邸、鉄道ホテル、総督府図書館、台湾電力株式会社、台湾軍司令部、台北帝国大学付属医院、台北駅、高等法院、度量衡所などの官庁が程度の差こそあれ被害を受けている。

 台北大空襲はアメリカ軍は台北城内の軍事・経済活動の拠点を主要目標としたとしているが、少なからずの一般市民の住宅への被害も認められる。当時市民の防空施設であった台北市双連地区の聖母無原罪司教座堂や淡水地区の新舞台などが全壊・焼失、龍山寺の正殿及び左廊も爆撃され塑像の「釋迦出山」も戦災に巻き込まれている。

 台北大空襲での台北市民の死傷者は、当日死亡した者が3,000余人。これは、従前のアメリカ軍の空襲による全台湾での死者数に匹敵するものであった。この他数万の負傷者と多くの建造物への被害があった。

 

【空襲以降】

 この空襲により零式戦闘機、紫電、雷電、疾風などの戦闘機及び九二式重機関銃、93式重機関銃、96式高射砲、八八式75mm高射砲、150mm高射砲などの防空体制が機能不全に陥ったことが判明、その後は台湾総督府により各種学校に対する集団疎開及び防空訓練が推進されることになった。

 第二次世界大戦終結後、アメリカ合衆国の同盟国だった中華民国政府は、マスメディアおよび歴史教科書からこの空襲を排除するなど批判を弱めた。

 2009年7月15日に、MRT信義線の杭州南路工事現場(中正紀念堂の隣接地域に当たる)の地下一メートル地点から、この空襲時のものと思われる不発弾二発が作業員によって発見されたが、無事に処理されている。


--ウィキペディア日本語版より https://ja.wikipedia.org/wiki/台北大空襲

 

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「Voice of Comfort Women」(慰安婦たちの声)が世界記憶遺産へ

って、今週ツイターでよく議論してって「Voice of Comfort Women(=慰安婦)」が世界記憶遺産へのことについて、ようやく私がボランティア活動やってる台湾側の支援団体が発表を掲載しました。ここで簡単に整理してまとめます。

 

 

 

❶ 韓国、日本、台湾、中国、フィリピン、インドネシア、東ティモールとオランダ合わせて八国14つ民間団体は去年、「Voice of Comfort Women 」の名前で世界記憶遺産に登録を申し込み中です。結果は今年九月発表するそうです。

 

❷ 七月三日、ソウル大学が中米連軍が1944年中国の雲南省で日本軍慰安婦たちに質問している映像を公開し、映像にいる慰安婦たちの中で朝鮮人慰安婦がいる事実を解明しました。

掲載してた映像はこちら👉🏼https://www.youtube.com/watch?v=uyTE5qD2DEk


최초로 발견된 한국인 '위안부' 영상 자료


[영상] ‘두려운 표정’…한국인 위안부 동영상 최초 공개

 

関連記事:(繫体字中国語のみ)

dq.yam.com

 

❸ 七月十日、韓国の鄭鉉栢(チョン・ヒョンベク)女性家族相が「ナヌムの家」を訪ねて、韓国政府は「国連教育科学文化機関『世界の記憶』に登録する事業の予算を『拠出できる』」と述べました。(毎日新聞、2017/7/10、韓国 「世界の記憶」に慰安婦資料登録を再支援)

mainichi.jp

news.naver.com

 

この前に(七月四日)同じの鄭鉉栢(チョン・ヒョンベクさんは女性家族部長官候補者として、韓国国会の人事聴聞会で朴槿恵(パク・クネ)政府が中断した日本軍「慰安婦」被害者記録のユネスコ世界記録遺産登載事業を再推進すると明らかにした。(ハンギョレ新聞、2017/7/4、女性家族部長官候補者「慰安婦被害記録、ユネスコ登載を再推進」)

japan.hani.co.kr

 

ここで韓国の新聞社に曖昧な表現法は、二つのこと(最初の戦時下慰安婦映像を公開されたことと韓国政府の事業)を一つ記事に書きました。(聯合ニュース、2017/7/10、韓国新女性相「ソウルに慰安婦博物館建てる」=被害者と面会)

japanese.yonhapnews.co.kr

 

韓国政府は一体、「Voice of Comfort Women」ただいま登録中ということどこまで把握できますか。「Voice of Comfort Women」のこと知っていますか?

もし鄭鉉栢(チョン・ヒョンベク)さんが「ナヌムの家」に行ったら、あそこの運営団体にも一緒に申し込み出した14つ民間団体の一つであるだろう。今の状況を鄭鉉栢(チョン・ヒョンベク)さんに伝いなかったら、これはほんまおかしいです。

 

私はいま知りたいのは、「Voice of Comfort Women」把握できずのは韓国政府か、それともメディアだけなのか。ほんま知りたい。気になっています。

そして、九月にいい結果を出せるように。m(._.)m
心よりお祈り申し上げます。