違うねん!東南アジア系外国人労働者が台湾に来るきっかけは全く中国依存度と関係ない!
注目ポイント
=2017/03/17付 西日本新聞朝刊=であるタイトル「脱中国」と中身である東南アジア系労働者たちの話は全く関係ないです!
しかも「外国人労働者」と「移民」にも別の話です。ここである「外国人労働者」は「移民工」または「移工」(foreign migrant worker。「外籍勞工」の名前にも使うけど、特に「外」と「内」分けたくないので、いまの有識者たちはこのことばをもう使わない)と呼ばれ、労働契約期間終わる際にすぐ自分の国へ帰れなければならないなので、「移民」ではありません。
一言で言えば、東南アジア系の人たちが台湾でやっている仕事は全て台湾の若者たちやりたくない仕事ですから。
できれば、新聞のタイトルが変更したいです。もしくは追記のところで説明したら嬉しいです。
背景
台湾、香港やシンガポールなどチャイニーズ系(Chinese-speaking)国や地方などのところで言語は微妙な違いがありますけど、やっぱり起源は同じ民族ですから、性格や考え方が似てることがたくさんあります。
しかも言語がなかなか通じますから民間や政府側の交流が強いです。相手のいい点を見て、自分らしくほぼ同じ制度を導入されるケースが多いです(つまりガラパコス化)。
ところで、「外国人労働者」を自分の国の労働市場に導入することには一つの例です。
シンガポールは1965年独立後、続いて香港は1973年から*1、そして台湾は1989年から東南アジア系の外国人労働者制度を立ちました。
こちらの東南アジア系は台湾の例を挙げますと、インドネシア、ベトナム、フィリピンとタイ人が多いです。
東南アジア系の外国人労働者たち海外へ移動するきっかけは、もちろん国内での給料が安いし、海外へ行ったら同じ仕事をやって給料が高いです。
これは経済学の「供給」(supply)です。そしてこの「供給」を必要な「需要」(demand)。
シンガポール、香港や台湾のような先進国の若者たちが意識を高くなりますと、勤労意欲が低くて工廠や工場に働きなくないし、そうしますと国内であるインフラ整備や工事などどうしますか?
自分の国よりまだ発展中の隣国に誘ってしよう!
もう一つ背景は(特に台湾の場合は)、戦後中国大陸から軍人たちが台湾に来て、国が戦争で国のために一生懸命な働いていた軍人たちへの待遇がいいですけど、結婚しなかった軍人おじいさんが多いです。
結婚できなかった理由は戦後中国大陸からの軍人たちと戦前から台湾に住んでいる人たちの文化が違いますし、かつ政治や社会雰囲気の要素、戦後中国大陸から人と戦前台湾に住んでいる人とあんまり仲良くありませんでした。
いまの台湾でこの二つグループの対立感がほとんどないけど(日本語での記事に今までにもこの二つのグループを分けて、「本省人」と「外省人」と呼びますけど、この20年くらい台湾社会でもうこうやって言いません!特に二つグループ分別しません。)、でも70年前に台湾に来た軍人たちもうおじいさんになるだろう!お金があっても「年齢層」が高すぎて、結婚したいにもなかなか難しいでしょう。
っていうことで、20年前から台湾社会で「外籍新娘」(=外国お嫁さん)の人数がトントン増えました。
こちらの「外国お嫁さん」は中国大陸とベトナムから中心に台湾で結婚したいでも相手がいない男の子と結婚して、台湾に移住していました。ちなみに中国大陸からのは言語が通じますし、ベトナムは中華文化と似てますし人が優しいと呼ばれました。
この理由で20年前から、台湾である東南アジア系の移民「外国お嫁さん」たちがトントン増えていて、「新住民」と呼ばれます。(こちらの「新住民」は「移民」です。)
台湾社会は色々な人が行ったり来たりして、豊かな文化が台湾社会の特徴であり、
「台湾人」はいつも昨日よりもっと幸せな多文化共生社会へ進んでいます。
ONE-FORTY→東南アジア系外国人労働者たち
台湾の人口は2,300万人くらい、現時点にその中にの四十分の一は東南アジア系外国人労働者たちです。
ここから単純に東南アジア系の外国人労働者について紹介したいと思います。
国別での順番ではインドネシア>ベトナム>フィリピン>タイ(タイはほとんど男の子。そしてインフラ整備の工事現場で働き)です。
ベトナムの場合は(海外へ働きしかないのはかわいそうですけど、)社会主義の国なんで特別な部分があります。
ベトナム戦争終わって、社会主義国家になる原因で旧ソビエト連邦の国に賠償金を払うことが必要ですけど、お金払えられないので、ベトナム人の労働力の代わりに1980年代「国の力で」大量の労働者を東欧に「送りました」。(このケースはベトナムに戻られないので、「移民」です)現在、チェコなどの東欧国には「ベトナム人社会」が存在しています。
1990年代後、ベトナム人は近い国へ働きます。現時点ベトナム労働者たち「外国」への国別ランキングは台湾>日本、韓国です。
台湾の方が日本や韓国への人数が多い理由の一つは「行き易い」。日本や韓国へ働きたいなら、まず日本語(もしくは韓国語)試験を受けて、合格しないと行きません。
台湾の場合は外国人労働者たちやっている仕事はほとんど
❶漁師(男の子、インドネシア人中心)
❷工廠や工事現場で働き(フィリピン、タイ)
❸民家で家事代行や高齢者介護(女の子)
この三つであり、男の子は体力勝負の労働者、工場で働き女性は男性よりそうなに苦労じゃないけど、工場である仕事は大変だろう。
ところで、漁村、工廠、工事現場どちらでも労働条件が悪いです。
長い時間働き、休みの日は月一回かもしれません。特に漁師は一回出航したら、長い時間に海で過ごして、一ヶ月帰られないかもしれません。
ただし、民家で働く家事代行や高齢者介護などの仕事はもちろん女の子のみですが、雇用者と同じ部屋に住んでいる原因で、24時間「職場にいます」。つまり、いつか仕事中いつか休憩中どうやって評価標準がありません。
元々高齢者介護なのに、急に「雇用者の家族」全員のお皿を洗って!又は部屋に掃除してと言われて、やらないといけないだろう。
東南アジア系外国人労働者たちの休み時間があんまりないから、月一回や二回の休みの日に彼らたちにとって同じ国からの友達と会って、自分の言語で話す「休みの日」は誰にも大切にします。
「休みの日」と言いますけど、何時まで「家に到着」は基本的なルールです。
例えば、家事代行のケースはあさ朝ご飯用意して、「一日の休み」後、夜六時に戻って晩ご飯を準備します。
国別で待ち合わせ場所は違います。
こちらの地図見たとおり、台北駅はちょうど「日曜限定」インドネシアタウンです。
日曜限定のインドネシアタウン。日曜日だけやっている店屋さんは多いです。
理由はもちろんお客様(東南アジア系労働者たち)はほとんど日曜日に休みなんで。。。
地下の商店街にも東南アジア系労働者たち向けのコンビニがあります。
食べ物からシムカード、携帯、宅急便、海外送金などほんまなんにもいけるコンビニw
大切な「休みの日」にどうやって最大限で活用しますか?友達は別々のところに働き、どこはみんなにとってアクセス便利なところだろう?
そうだ!駅で集合しましょう!
ということで、台湾鉄道の台北駅、桃園駅と台中駅の周りにたくさん「東南アジア系外国人」の顔を見えます。
(ちなみに、台湾の地方自治体別での東南アジア系外国人労働者人数ランキングは桃園県>新北市(台北県)>台中市)
台湾鉄道の台北駅にはどこからにも行ける交通便利な場所です。
しかも駅一階である広場は屋根付き公園みたいところなんで、周りの店屋さんで「久しぶり地元の料理」を持ち帰って、一緒に駅の構内の広場でピックニックしよう!
台湾人は元々床に座らないです。必ず椅子の上に座ります。(床は汚いと思うから座りません。)
でも、東南アジア系の人たちは「南国に住んでいるから天気が暑過ぎて」床に座ったらもっと涼しいと言われて、彼らにとって床に座ることは普通らしいし、
台湾鉄道の台北駅にほんまあんまり椅子がないので、今台北駅一階の広場の床に座っている人たちの中に台湾の若者たちがトントン増えています。
終わりに
台湾社会にいる四十分の一は東南アジア系外国人労働者たち、人数は少しないけど、「台湾人の目で見えない」、マイノリティーでした。
ONE-FORTYというNGO団体は去年(2016年)立ち上がって、台湾である東南アジア系労働者たちのために支援する社会福祉法人です。
言語の壁、文化の違い、労働者たち帰国後のインパクトなど色々な問題があって解消のために立ち上がる団体です。
We asked for workers. We got peoople instead --- Max Frisch
2017/4/1から4/14まで、台北市内華山1914文化園区で「ONE-FORTY JOURNEY」という展覧会があって、ここでもう一度目を開けて、周りにいる東南アジア系労働者たちのちゃんと発見しましょう!
台湾社会はいつも今よりもっといい社会へ追求しています。
こんな「変わりたい気持ち」を台湾人の血にあり、「社会を変わる」原動力が止まらない。
あしたの台湾どうのようなカオに出しますか?
毎日ここで考えますと、ワクワクして楽しみしています。お楽しみください!
KEEP MOTIVATION。台湾
文、写真:CHANG, Yu-Chieh
取材協力:One-Forty(NGO)
*1:出典:臺灣行政院勞工委員會職業訓練局委託研究報告 外國人聘僱及管理法制研究計畫の香港家事代行移民工